陸上自衛隊西側(現久保原町9街区)には、終戦まで陸軍病院があった。都城衛戍(えいじゅ)病院(明治42年発足)~陸軍病院(昭和11年名称変更)~日本繊維工業都城工場(昭和22~50年営業)~東ニュータウン(昭和51年竣工)へと、移り変わっている。なお、陸軍病院は、終戦と同時に米軍に撤去を命ぜられ、川崎航空機工場跡(現在地)に移転し、昭和20年、国立都城病院となった。