この陰陽桜は、三島通庸(みしまみちつね)が明治3年に母智丘神社を再建した際に植栽されたと伝えられている。この桜は二種(ソメイヨシノ、ヤマザクラ)の別々の木だったが、長い年月で一つとなったため、枝によって開花期が異なり、その様を称して陰陽桜と呼ばれるようになった。現在は、平成27年12月2日の強風により倒れてしまったので、樹幹を再生するために養生中である。