沖縄総攻撃の特攻隊である第一特別振武隊が、昭和20年4月6日と12日に都城西飛行場から出撃していった。

その後、都城西飛行場への米軍爆撃が激しくなり、飛行場は使用不能になったので、都城東飛行場(現 都北町・住友ゴム工業周辺)から飛び立った。

戦死者は、都城西飛行場からは10名、都城東飛行場からは69名、計79名であった。