大正13年4月、9名の発起人により出水集落29戸の賛同を得て横市・今房間(現在の出水・今房線)の道路開発をした。道路幅二間、延長六百二十三間、敷地のほとんどは寄付にて、一月余りで竣工した。母智丘尋常小学校の通学路として便利となり産業発展の礎となった。当時の福崎経義校長により、大正13年4月15日道路開通記念碑が建立された。