諏訪さんの話によると、石垣は、明治末に造られたようである。屋敷内にも石垣があるのは、父・祖父が養蚕業を営んでおり、7棟の養蚕室と屋敷を区分した名残とのこと。石垣の材質は、庄内町の石垣と同様に、溶結凝灰岩である。