中村 勝義(元西小校長、中蓑原)

わたしは、昭和35年4月から42年3月まで、7年間在任しましたので、その間には創立八十五周年も迎えました。その時、これを機会として学校の画期的な発展を期するため、校地拡張を記念事業の一つにしようと校区の世論が盛り上りました。当局に対する陳情折衝の結果、時の蒲生市長の英断で具体化することになりました。この際思い切って視点を転換し、横市川川南の台地に敷地を求め移転する案になりました。それに見合うように学校区の整理統合をして清新発刺な新しい学校づくりをすることが、校区百年の計ではないかということになったわけです。工事のうち旧校舎2階の部分は移築するため解体される段階があり、それに伴い40年8月変則な形でしたが、新築工事途中の新校舎に収容できるだけの児童を分けて、第一次の移転をいたしました。そして半年、ともかく新校舎工事が残留児童を収容するに足りる状態になるのを待って、41年3月残留児童を移転収容して、全校児童がそろい原状に復しました。一校の児童職員を二分して離れた場所で、半年間も学校運営がなされた例は珍しいことでしょう。また、第二次の移転のときは、80余年前からの備品類をはじめ植木類にいたるまで、物という物一切を現地に移転しました。それに自衛隊、九農試畑作部の機動力の支援をいただき一大移動を終えました。(西小創立百周年記念誌より抜粋)