創建の年時は分からないが古くから地方民に石峯稲荷明神として崇められていた。頂上に巨大な岩石があったので石無礼又は石峯の名で呼ばれ、社殿の後に二つの穴があり左方を白御毛津、右方を赤御毛津と称した。この地の久保田宝楽院、鬼塚光明院が祭祀を営み神意を受けて庶人の祈願吉凶を判し、五穀成就諸病息滅、なかでも家畜の保護繁殖に神験ありとして多くの参拝者のある霊地である。