「牧の原」の名前が示す通り、以前は、この一帯は一年間に子馬が毎年50頭ずつ繁殖したという記録が残っている。藩政時代には競って馬をたくさん育てていたようである。この「牧の原」から南の「馬場」は都城島津家が馬を育てていた場所で、広大な場所を石垣で囲って、狼垣(おおかみがき)という周囲10.5kmの柵の中で馬を繁殖させたとされている。