都城市庄内町には、願心寺・持永邸をはじめ50数個所の石垣が残っている。これは、願心寺の石垣を手掛けた石工の徳永長太郎らが庄内町に住み着き、周辺地区の民家の屋敷に石垣を造ったことによる。持永邸が明治45(1912)年に完成しているので、この水光邸石垣も、このころに造られたようである。石垣の材質は、庄内町の石垣と同様に溶結凝灰岩である。