この地区は、谷川に沿った段々の狭い水田で、大雨の度に氾濫し、多大の被害もたらし、農道もなく耕作に不便であった。工事は、粗朶井堰を自動開閉頭首工とし、下流の千貫土提(一厘銭を千貫用いた土堤)内の河口を横市川加治屋頭首工の下流に変更し、落差を大にして溝添地区の排水の便を計り、用排水路もベンチフリュームとする耕地整理に、4ヶ年の歳月を要した。
昭和55年3月 竣工