明治3年(1870)、上荘内郷地頭の三島通庸(みちつね)が、それまで小さな祠(ほこら)のある持尾稲荷を再興し、母智丘(もちお)神社と命名して郷社とした。社名の由来は、この一帯の字名(地名)が持尾(もちお)であることによる。明治6年(1873)丘のふもとにあった大年神を合祀(ごうし)して県社に昇格した。祭神は、豊受姫神(トヨウケヒメノカミ)と大年神(オオトシノカミ)である。