昔は中尾山と呼ばれており、横市川の柴井堰の材料をここから切り出していた。昭和58年から防衛施設周辺整備事業として屋外運動場の整備がなされ、平成元年3月に完成した。工事中に、中尾山・馬渡遺跡が発掘された。