「庄内地理志」に、横市村の外和田門に三敷三間(約6m四方)の早馬天神があったと記されている。早馬天神には、木座像が安置されており、高さ7寸5分で享保10年(1725)と書いてあったという。また、享保16年(1731)2度目の棟上げ有とある。今から約280年前、当時は方限ごとに神社があったが、明治時代に入り神社合祀(ごうし)政策により消滅したものと思われる。