森田 アイ子(母智丘小 昭13卒、旧姓 野田、出水)

私は、今から43年前、横市小学校と称せられた頃に入学しました。

私達は、母智丘神社参道入口から石段をかけ上り、運動場の西側に一段と高く安置された奉安殿(天皇・皇后両陛下の御写真と教育勅語が安置されている)に向って礼拝をして教室に入り、下校時も礼拝して通学しました。支那事変の勃発した当時のことでした。
「寅吉の投げたマリがそれて、お隣の障子を破りました」又「木口小平は、敵の弾にあたりましたが、死んでもラッパを口から離しませんでした」等の修身を思い出します。
学校行事や式典等には、必ず校長先生が教育勅語を奉読され、私達は教育勅語を暗記したものです。私達のクラスは男女別々の教室で男子1クラス、女子1クラスでした。

母智丘神社に毎日日参と書いた札を下げて当番制で日参しました。

時々全校生徒で神社及び参道の大掃除をして武運長久を祈願し、祭礼には全校生の代表者の人達が「カグラ舞」をしていた事を記憶しています。 南京攻略のとき提灯行列があり、大演習の時、天皇陛下の閲兵式に参列したこともあります。
子供の頃の楽しい遠足、お手玉取り、ハジキ、ゴム飛び等も何故か戦時中のことの方が強く頭の中に深く入って、想い出が薄らぐような感じがします。

百年といえば口では簡単に言えますが、私達の祖先の歴史が長い間に作られ語り綴られて行くことを思って!!(西小創立百周年記念誌より抜粋)