柿木 儀博(談、馬場)

1.防空壕のこと
空襲警報が鳴った時は、一日中、防空壕で過ごすこともあった。朝昼晩の食事は、母が家でつくって持ってきてくれた。戦闘機見たさに防空壕の外に出ると、よく父に怒られた。

2.通信施設(交換室)のこと
近所の防空壕に軍の通信施設(交換室)があり、担当の兵隊が、我が家に寝泊まりしていた。兵隊さんの食事の残り物を、よくもらって食べた。

3.兵隊の炊き出しのこと
近所に兵隊用の炊事場があり、近くの農家に宿泊していた兵隊に、炊き出しをしていた。宿泊していた兵隊は、12~13人くらいだったと思う。

4.トーチカのこと
現トーチカの近くに住んでいるが、戦時中は、軍の管理が厳しく、トーチカに近づくことはできなかった。機関砲の音につられて外に出ると、よく父に怒られた。

5.食糧庫のこと
戦時中、母智丘谷の防空壕に軍の食糧庫があった。戦後、食糧庫にあった食糧を見張りの役人の目を盗んで、乾パン・缶詰等を盗んで食べた。下級生の私達は見張りの役目で、上級生が盗む役目だった。いつかは、重い袋を盗ってきて開けてみたら、機関銃の弾だったのでみんなで大笑いした。

6.級友が手りゅう弾で亡くなったこと
戦後、加治屋いぜき(現 加治屋頭首工)付近で見つけた手りゅう弾を家に持ち帰って遊んでいたところ、二人の級友とお母さんが、手りゅう弾の破裂で亡くなった。