現在の横市市民広場は、昔は中尾山と呼ばれていた。眼下の横市川の柴井堰を築くために、中尾山の山柴を切り出して井堰を築きあげ灌漑用水として水利用を図ってきた。昭和23、25年井堰上流の右岸の堤防が決壊し、この復旧に中尾山が裸山になるほどに築堤の資材としてここの山柴が利用された。
報恩之碑を平成元年(1989)4月に建立した。