太平洋戦争の激しくなった昭和18年、本土防衛のため建設された。昭和19年以降、陸軍航空隊が都城西飛行場を特攻基地として使用することになったため米軍の空爆が激しくなり機関銃で応戦していた。四つの砲門を持ち、玄々坊の南側にある。他にもう一基ある。
トーチカとは、コンクリートで堅固に構築され、中に銃火器などを備えた防御陣地のことである。