久保田 忠孝(尻枝)

1.特攻隊員のこと  
特攻隊員達の束の間の休みだったと思われるが、店を営んでいた自分の家に、3人の若い隊員がよく遊びに来ていた。当時は、小学生も徒歩の遠足であり、水を飲みに来た子供達を並ばせて水を汲んで飲ませていた様子を覚えている。この3人の特攻隊員が出撃する時、自宅の上を低空で翼を振り、東の空へ消えるのを見送った。3年後だったと思うが、3人の中の1人が出撃途中でエンジントラブルかで生き残ったと突然来て、自宅に泊まった事を覚えている。その胸の内は分からないが、同じ釜の飯を食い、若くして特攻隊員として南の海に散って行った戦友への思いから来られたのは間違い無い。

2.日本軍の戦闘機が墜落したこと  
現児湯食鳥近くの場所で、北から南に向けて道路をふさいで日本軍の戦闘機が墜落した。機体の形は残っていたので不時着か墜落か、又搭乗員の生死と機種は分からない。

3.父との別れ  
畑で仕事をしている父を迎えに行き、用水路の畦道を歩いてくる姿と、出征する時、都城駅の階段を降りた所で見送り、ホームへの階段を一度登り又降りて振り向いたのが最後であった。今考えると、招集令状(赤紙)が来た事を知らせる為に、母が自分を迎えに行かせたのだと思う。

4.飛行機で遊んだこと  
終戦直後、西飛行場には壊れた飛行機等が放置してあり、それに乗っていじって遊んでいた。他に戦車等があったと思うがそれは谷(現ハゼヤマ・ダイレックスの場所)に落とされた。

5.砲弾で都城中学校の生徒が大怪我をしたこと  
尻枝墓地近くで、2人の中学生が、砲弾をいじり爆発して、地区の人達にモッコで下(現池田宅)に運ばれたが、その後の事は分からない。